『色即是空 空即是色(しくそくぜくう くうそくぜしき)』
般若心経の一節です。
色=見える 空=見えない。
ということで、見えるものは即ち見えない、見えないものは即ち見える。
つまり有るけど無い、無いけど有る。という意味です。
よく分からんでしょ?
では、あの人は「心がある人だ」というとき、その「心を目に見えるように見せてくれ」と言われても見せられないですよね。
即ち「無い」のである。
でも、「心が無い」かと言われるとそうではなく、ちゃんと「有る」のである。
「幽霊」が分かりやすいですが、現代社会では「見えないものは無い」と考えがちだけど、そうではない。
見えるものだけを信じても違うし、見えないものを信じないのも違う。
人間も死んだら何もなくなるのではなく、見えなくなるけど、その存在は決して無にはならないと思う。
いつまでも私たちの中に「有る」のではないでしょうか。
今日の当社の「死生観」は、これまでに旅立って行かれた利用者様たちが自らの最期をもって私たちに教えて下さった「最後の教育」の積み重ねです。
形としては「無い(見えない)」のですが、確実に私たちの中には「有る(存在している)」のです。
京都のあるお寺の住職さんと話をしていた時、ふとそんなことを思い、今、私たちは「有る」のは、今は「無い」方々が「有る」からなんだなぁと感謝した次第です。
私は死後の世界や輪廻転生を肯定も否定もしません。
またあらゆる宗教や思想についても肯定も否定もしません(カルトは除く)。
その理由も「色即是空 空即是色」だからです。
ただ、「人は死んだら全て無くなる」というのは違うのかなと思います。
上に記したように、少なくともその方が「生きた証」は必ず誰かの中に、永遠に「有る」と思いますから。
当社はご高齢の要介護者と時をともにしますので、「死生観」については宗教学・哲学・科学・心理学を始め、色んな角度から日々研究しておりますが、常に迷いと共に考え続けており、答えは当然見つけられずにいます・・・・。これもまた、「無い」のに「有る」です。