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【本社】10回目の暑い夏~知覧特攻平和会館より~

グレイス寝屋川を飛び立った千羽鶴は、今、知覧特攻平和会館にいます。

トップに掲げたひときわ大きな純白の鶴が目を引きます。

今年は零戦の翼にも掲げて下さいました。

館長からのお手紙もいただいております。

今の日本は平和で幸せな時代でしょうか。世界的に見たら幸せな方じゃない?といった消極的意味ではなく。この当時、私たちの年齢の半分にも満たない青年たちが、今日の私たちのために自らの命を捧げた事実を知り、語り継ぐことはとても大切なことだと思います。立派な勲章をもらうのはいつも激戦の最前線で殉死したこうした青年たちではなく、青年たちを指揮或いは扇動した軍の幹部や政治家です。歴史に名を残し、後世に「立派な人」と語られるのも、自ら肉弾となって祖国のために散った青年ではなく、国の「エラいさん」たちです。私たちはそうした「名もなき英雄」の幾千幾万の屍の上に本日があることを、せめてこの季節にだけでも思い出し、敬意と鎮魂の祈りを贈ります。彼らにも家族があり、或いは恋人や恩師がおり、生まれた時代が違えばもっと違った生き方があったのです。

最後に、鹿児島の特攻基地は知覧のイメージが強いですが、さほど離れていないところに「万世飛行場」という特攻基地もありました。沖縄戦の激化に伴い知覧だけでは間に合わないので急遽突貫工事で作られたこの飛行場は、長く人々から知覧と混同され、「幻の特攻基地」と言われていました。終戦直前昭和20年3月から7月の4か月間で、201人の特攻隊員が沖縄に飛び立ち、帰らぬ人となりました。次の写真は、万世特攻隊員の出撃2時間前に撮られた写真です。

実際には予定変更で翌日の出撃となったのですが、この撮影時点では2時間後に出撃が決まっていました。

あどけない笑顔の5人の特攻隊員、真ん中で子犬を抱いて微笑む青年は、若干17歳の荒木伍長。

この青年たちは2時間後に出撃し、自分たちが死ぬ時間まで分かっていました。

飛び立つまえに「靖国で会おう。靖国で待ってる」と言い合って飛び立ったとのことです。

私が毎年この時期に子供たちに平和学習をすることは何度かお伝えしましたが、そういえば昨年、娘が夏休みの自由研究(新聞づくり)で沖縄戦を取り上げていました。先日はピースおおさかで熱心に展示を見入っていました。小さいながらに思うところがあったのでしょう。

みなさま、コロナ禍が続き本当に大変なときだと思いますが、いつかは明けるその日まで、一日一日を大切に共に乗り越えていきましょう。

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【本社】拡散希望

株式会社ラフィン・ハーツ

代表取締役 蓮井岳史