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【本社】ラフィンハーツ・クロニクル(第1回)

第一回 開業前からグレイス門真オープン(2011.1~2011.6)

その日、私はグレイスグループの会長と大阪は日本橋の小料理屋に居た。

-いきなりめっちゃ割愛-

グレイスグループが新しく門真に作る高齢者住宅の運営を請け負うこととなる。

当時まだ私は個人事業主であり、法人設立もしていなかったが、取り合えず一緒に進める仲間をと、今も共に会社をマネジメントしてくれている小畑くんと平野くんを誘い、会社設立に向けての基礎を作った。

また本来ならグレイス門真内に事務所を置いて執務したいとこだが、まだまだ工事中であったため、森ノ宮に事務所を置いていた友人の会社の「相談コーナー」を間借りして3人で準備を始めました。今やOBPに移転してやがります(https://jokerpiece.co.jp/)。

そして2011年2月、オープンに向けて法人を設立。3月になり、グレイス門真の建物も8割方完成してきた矢先、東日本大震災が発生。発生当時「相談コーナー」で仕事をしていたら突然の大きな揺れ。まさか東北の震源が大阪であれほど揺れるとは・・・。千葉県の友人から送られてきた写メには、大きくうねって割れた国道の写真などが。

この震災により物資の供給がストップし、グレイス門真の工事も停止することとなる。開業計画は頓挫する事となった。

しかし大阪の復旧は早く、5月には一部工事と外構を残すだけというところまで完成。グレイスグループから「7月1日オープン」を命じられ、急ピッチで準備を進める。

結果、初代チラシは暖かい雰囲気は醸し出し、センス良くデザインされているものの、テーブル等の備品や調度品は一切なく、よく見ると天井の空気孔はポッカリ開いたままという、なかなか斬新なものになりました(;^_^A

また当時ラフィンハーツは資本金800万円であり、大手のような潤沢な資金も無いことから、グレイスグループのバックアップも受けながら、自分たちの頭と身体を使って、工夫に工夫を重ねて進めた毎日でした。

6月1日、ラフィンハーツ1期生が入職する運びとなりました。当社は比較的勤続年数の長いスタッフも多く、例えば大西さんはこの時から会社を支えてくれており、分からんことがあったら大西さんに聞けというくらい、私よりもグレイス門真を知り尽くしてくれています。鈴木ナースはラフィンハーツの医療の礎作りに尽力してくれ、今もそれが基準となっています。

そして!

ついにグレイス門真がオープン致しました。(第2回に続く)

小畑くんと平野くんに声をかけたあの日から、私たちは何度も何度も、「ラフィンハーツの介護とは」について話し合いを続けました。人生を、命を預かる仕事あるが故、ビジネスライクに仕事をするのではなく、介護とは、認知症とは、生きるとは、死ぬとは、人を雇うとは・・・様々なことに対し「自分たちの哲学」を深めていくことが大切だと、本当に話し合いを繰り返しました。あの日から10年。今もそれは日々続いています。